大判例

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名古屋高等裁判所 昭和33年(う)292号 判決

本件控訴の趣意は、弁護人Mの差し出した控訴趣意書に記載されたとおりであるからここにこれを引用するが、その要旨は、原判決は、事実認定に判決に影響を及ぼすことが明らかな誤認があるから破棄を免れず、本件は、無罪が相当であると主張するにある。

しかし、原判決挙示の証拠を総合考察すれば、原判示事実、すなわち、被告人が判示海岸に修理のため置かれてあつた判示渥美町(町長間瀬勘作)の管理する判示浮標一個(赤塗円筒型鉄製、高さ一米四〇糎ぐらい、直径二米ぐらい、重量二、四〇〇瓩ぐらい、時価約二〇万円相当のもの)を、不法領得の意思をもつて、無断で古物商木村里志に売却して引渡し、同人をしてこれを解体のうえ同所から他に搬出せしめ、もつて右浮標を窃取した事実を優に認定することができるのである。

所論は要するに、本件浮標は元来漂流物であるところ、被告人が組合長である愛知県鮮魚運搬船組合がこれを拾得し(無主物先占)機帆船組合らと相談のうえ、これを福江港沖合に設置し、右運搬船組合において管理していたもので、渥美町にその所有権ならびに管理権はない。かりに同町にその管理権があつたとしても、同町は被告人が本件浮標を売却処分する際これを承認し、その占有を被告人に移転したのであるから、被告人が右浮標を他に売却処分しても窃盗罪を構成しない。また、かりに同町が被告人の右売却処分を承諾しなかつたとしても、被告人はその承諾があつたものと信じたればこそ、衆人環視の中で白昼公然と右浮標を解体せしめたのであるから、被告人に窃盗の犯意はなかつたものであると抗争するのである。

よつて案ずる、原判決挙示の証拠、とくに原審における証人鈴木春雄、同渡会与十、同鈴木五良、同渡会福太郎、同渡辺長作、同渡辺忠一、同斉藤三郎、同森下顕、同小林武二、同植田稔、同富田彦士、同山本心一、同高橋一郎、同山本玄一、同長尾八重男、同川口釜之助、同間瀬勘作の各尋問調書、原審第七回公判調書中証人木村里志の供述記載、同第八回公判調書中高橋一郎の供述記載、被告人の検察事務官に対する供述調書および証拠物を総合考察すれば、

一、昭和二三年五、六月ごろ愛知県渥美郡渥美町大字福江(当時福江町)字中山海岸および福江字小中山海岸に、所有者不明の浮標が一個づつ漂着したこと、

一、当時福江町は、東海財務局豊橋出張所に右浮標の所有者を照会をしたが判明せず、漂着のまま、放置しておけば、腐食のおそれがあつたので、同出張所の助言を得て、後日所有者が判明すれば返還することとし、右浮標の用途に従つてこれを福江港出入口に航路標識として設置することに決め、同町が主体となり、直接の利害関係を有する前記運搬船組合と同県機帆船運送株式会社の協力(金一万円程度の寄付と労力提供)を得て、前記二個の浮標を修理のうえ同港出入口に設置し、以来同町土木課において事実上これを管理していたこと、

一、福江町は、右浮標の設置について、昭和二三年九月三〇日付同町長名義をもつて運輸大臣あて、公設航路標識設置許可申請書を提出したところ、これに対して、昭和二五年四月五日付海上保安庁長官名義をもつて同町長あて、福江港第一号浮標および第二号浮標設置を許可する旨の通達をなされたので、(本件浮標は右第二号に該当する。)同日以後、同町は右浮標について法律上も適法な管理権を取得したこと、(航路標識法第二条、第四条参照)

一、昭和二八年九月のいわゆる一三号台風のため、前記浮標二個はふたたび漂流し、第一号浮標は福江町石神海岸に、第二号浮標は同町松山海岸にそれぞれ漂着したが、昭和三〇年七月ごろ渥美町(福江町が他の二村を合併して町名改正)において、愛知県の港湾施設船、伊良湖丸に委嘱して、右第二号浮標を松山海岸から同町大字古田字郷中海岸に運搬のうえ陸揚げし、ふたたび福江港に設置するため、船具商高橋一郎に修理を請負わせ、標体の塗替え、やぐらの取り付け、いかりや鎖の購入などに約四万円を支出し、前記施設船の入港を待つていたこと、

一、被告人は事業不振のため欲心をおこし、前記浮標に関する来歴および同町の管理の事実を知りながら、しかも最初本件浮標を福江港に設置した昭和二三年から七年余を経過した昭和三〇年一一月一四日ごろにいたり、渥美町が前記第一号浮標を海上保安庁に引渡しこれと交換的に小さい浮標二個を受け取つたこと、および同町が前記第二号浮標を修理したことについて因縁をつけ、同町に対し右第二号浮標は被告人が財務局から払下げを受けたものであるからこれを処分する旨虚偽の事実を主張したところ、同町においては右浮標の権利関係を証する書類等がなかつたので、強く被告人の主張を反ばくできず、むしろ円満に話合いをするのが良策と考え、同町長、助役、町の議会議長らが被告人と話合つた末、同月一七日ごろ、被告人から町に対し右第二号浮標に関する寄付採納願書を提出させ、これに対して町から被告人に対し金一封(二万円)を贈与することとなつたが、金銭授受の日時について折り合いがつかなかつたので右話合いはけつきよく、ものわかれとなつたこと、

一、そこで被告人は、同月一八日ごろ右浮標に取り付けてあつたやぐらのナツトを取り外してこれを町役場に屈け、同月二四日木村里志に右浮標を、(鎖といかりは別にしてあつた)あたかも自己において自由に処分し得るもののように申向けて金三万七千円で売却して引渡し、よつて同人をしてその後五日間ぐらいのうちに右浮標を解体のうえ同所から他に搬出せしめたこと、

をそれぞれ認められるのである。所論のように、昭和二三年五、六月ごろ前記二個の浮標を福江港に設置したのは、前記運搬船組合らであつて福江町は関係がなかつたとか、被告人が本件浮標を売却処分するについて渥美町はこれを承諾しその占有を被告人に移したとか、被告人において同町が被告人の右売却処分を承諾したものと信じていたとかいう主張は、いずれもき弁であつて、これらの主張に添うような、原審における証人原松太郎、同川口浅一、同荒木利七、同朽名助夫の各尋問調書、原審第一六回公判調書中被告人の供述記載、およびその他の証拠は、前記各証拠に対比して措信し難く、また他に前記認定事実を覆すに足りる証拠は存在しない。

そこで以上の認定事実から考察すると、本件浮標はその標体そのものから航路標識であることは明らかであり、その用途からみて公有物と推定されるのみならず、その経済的価値(時価約二〇万円相当)の点からみても、他人が所有権を抛棄した無主物とは認め難く、風浪のため自然にその設置個所を離脱して漂着したいわゆる漂流物であると認めるのが社会観念上相当であるから、前記運搬船組合が無主物先占の法理によつて右浮標の所有権を取得したという所論は、理由がない。一方、福江町(現在は渥美町)においても、右浮標について漂流物拾得に関する法的手続(水難救護法第二四条~第二八条)を採らず、また取得時効(民法一六二条)の要件をも満たしていないのであるから、右浮標の所有権を取得し得ないことも法理上疑いないところである。しかし、同町は前記のように、昭和二三年本件浮標を福江港出入口に航路標識として設置して以来、事実上これを管理し(昭和二五年四月五日以降は法律上の管理権をも取得。)前記一三号台風で漂流後も、右管理の意思を抛棄せず、機会をみてこれを前記海岸に陸揚げし、ふたたび同港に設置する目的でこれに修理を施していたものであるから、右管理は中絶することなく本件当日まで継続していたことが明らかである。そして窃盗罪の保護法益は、他人の財物に対する所有権その他の本権のみに限らず、これと関係のない他人の財物に対する事実上の支配関係(管理または占有)をも含むものであるから、同罪が成立するには、他人の事実上の支配下にある財物をその意思に反して不法に自己または第三者の実力的支配内に移すをもつて足り、その財物の所有権が何人に属するかということは問うところでない。してみれば、被告人が前記のように、本件浮標を無断で木村里志に売却して引渡した行為、すなわち、同町の意思に反して、右浮標に対する同町の事実上の支配を排除し、これを右木村里志の実力的支配の下に移した行為は、まさに窃盗罪を構成するものといわなければならない。

なお、被告人が、衆人環視の中で白昼公然と本件浮標を解体させたという所論の事実はなんら右窃盗罪の成立の妨げとなるものではなく、また被告人に窃盗罪の犯意がなかつたという証明にもならない。

その他、本件記録を精査し、原審ならびに当審で取り調べた証拠を検討しても、原審の事実認定に誤認の点はない。論旨はすべてその理由がない。

(裁判長裁判官 影山正雄 裁判官 坂本収二 裁判官 水島亀松)

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